蝋燭を灯す

私はまだ沢山の祈りは知りません。
何度も繰り返し唱えた主祷文と天使祝詞ばかり口にのぼります。

祈る場所に限りはないと思っています。
電車の中でも歩きながらでも、私たちの精神は祈ることが出来るのではないだろか。あ、いやでしょうか。

けれどもそれでも、たまに特別の気持ちで祈りを捧げたいとき、自室の明かりを消して蝋燭を灯します。
目を伏せて焔の揺らめきを睫毛に透かし見ながら祈ることは、私にとってはとても集中力を要することですが、しっかりと祈りを終えて灯火を消すといつもと違う心持ちがします。
達成感と簡単に言っていいものでしょうか。